先日、知人から「どうして若くして社長になろうと思ったの」と質問されました。

 

その瞬間にはうまく答えられなくて…

改めて今、その問いに対して自問自答しています。

 

ブログを振り返ってみたら、16年前の自分は、こんなふうに書いてました。

…自分が得意を発揮できる仕事は「社長」じゃないかと、自己分析したから、と。

 

 

まあ、これは間違ってはいないんだけど、もう少し深く掘り下げてみると…

 

小学生~大学生時代に、様々な価値観にふれたことが、そんな自己分析を導き出したのだと思います。

 

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私の両親は、私が小学校4年生の時に、外国人のホームステイ受け入れを始めました。

父は英語が得意で好奇心旺盛、母はお客さんをもてなすのが大好きだったので、お互いにとっての楽しみとして取り組んだのと同時に、私たち子どもの教育のためだったと思います。

(私の父は若いころは電通本社のマーケティング関連の部署にいました。しかし、父親(私にとっての祖父)が経営していた工場用モーターの販売・修理会社を継ぐために、静岡の田舎に戻りました。思いっきりブルーカラーの仕事ですから、つまらなかっただろうと思います。外国人のお客様との交流は父にとって、家にいながら得られる刺激的体験でした。)

 

ホームステイにやってくる外国人ゲストは、私に、世界に様々な価値観があることを教えてくれました。

 

アメリカ人の小学生は、メイクをして、マニキュアを塗っていました。マクドナルドでハンバーガーを買うときに、大人の店員さんに「私は野菜は食べないから、レタスを抜いてくれ」と言ったことにはビックリしました(そんな注文をつけることにも驚いたし、その堂々とした話し方にも驚いた)。私の母が長時間かけて作った和食を「口に合わない」といって全く食べなかったのも衝撃的だったな~(日本人なら普通、少しは食べてみたりしますよね)。

 

デンマーク人の夫婦は、人生にとっていかに趣味が大切かという話をしてくれました。デンマークにはフォルケホイスコーレという学校があって、彼らの息子は高校を卒業してからその学校に2年間在籍しているということ。全寮制で、楽器の演奏や演劇、スポーツなど、自分の興味関心があることに取り組みながら、一生涯自分が取り組む「趣味」を見つけるのだと教えてくれました。「人生にとって仕事よりも趣味が大切だ」と。

(改めて今日、フォルケホイスコーレについて検索したら、趣味以外にも幅の広い学びを提供している場、らしいです。高校生だった私の英語力に難があったのかもしれないですが、まあ、大まかには合ってるかな)

後日、私は妹と二人で彼らにホームステイさせてもらい、日本にはない穏やかで豊かな暮らしを体験しました。親戚たちと原っぱにピクニックにでかけて、昼から夜までずっと焚火を囲みながらおしゃべりしたり、キャッチボールしたり、のんびり過ごすんです。今思えばあれはまさに、ヒュッゲ

 

 

 

オランダ人の17歳の男の子は、自ら望んで、学校には行かずに、自宅学習をしていました。そして、政治に興味がある彼は、政治家の秘書のインターンシップをしていました(その関係で、オランダ人の政治家や経済界の日本視察についてきて、プログラムの一環として我が家にホームステイ)。ちょうど私の周りでも不登校という言葉が出てきていましたが、彼の選択はポジティブなもので、かつ、17才なのに政治家の秘書もしちゃう、のもビックリで、同じ年頃だった自分には刺激的でした。

 

ドイツ人大学生の女性とは気が合って、一緒に信州旅行をしました。彼女は大学を休学して、世界で様々なボランティア活動をしていました。「ドイツに戻ったら複数の会社でインターンシップをしながら、自分の将来の目標に適した職場を探す」という計画について話してくれた彼女の、着実に自分の人生を築いていっている姿は輝いて見えました。

 

ちょっと脱線しますが、パプアニューギニア人の女の子の話にも驚いたな…彼女は「うちには、父が1人と母が4人、兄弟は22人います」と教えてくれて。一夫多妻なんですよね。彼女のお父さんはスーパーやコーヒー農園を経営するビジネスマンで、広い敷地内に家が4軒たっていて、順番に妻のところを巡りながら生活している、と。いやはや、世界は広いですよね。

ちなみに「そういう家族ってどうなの」、と聞いたら「お父さんのことは嫌い」と言ったので、やっぱそうなんだな~と納得。

 

 

最後の話はともかく、私が、外国人ゲストから学んだのは「世界にはいろんな価値観がある」ということ。

 

だから、自由になっていい、と思いました。

日本の常識とか、周囲の人の価値観、女性という性にとらわれる必要なく、自分らしく生きればいいんだと。

 

自分にはもって生まれた創造力やリーダーシップがあるのだから、それを生かして、世の中に貢献しようと決めました。

 

 

それから、ポジショニングは重要だとも考えました。

 

アメリカでは自己主張しなきゃバカだと思われる。でも、日本で同じように発言したら周囲に驚かれる。住む世界や立ち位置によって、その人の評価は大きく変わる。

 

私の選択「社長になる」は、=変人扱いされてしまえ!というポジショニング戦略でしたね。

 

日本では、若い女性であるだけで、補佐的な立ち居振る舞いを要求されるけれど、自分はそんなふうにするつもりはない。その意思表示として、社長になってしまおうと。そうすれば、周囲が「あいつは社長になるくらいだから変わってる女だ」と警戒(私にとっては尊重)してくれて、楽だと。

日本で自己実現を果たすための私なりの「処し方」として、社長になる道を選びました。

(身の回りに、父含め、小さな会社の社長が多かったことも、この選択をさせた理由のひとつだと思います。両親は「自営業は大変だから、あなたたちは公務員か教師になりなさい」と諭していたのに、私は両親を見ながら「自分も経営者になりたい」と考えました。ちなみに妹は親のいうことを聞いて教師に。育った環境が同じでも選択が変わるのは、DNAの違いかな。私には、起業家の祖父の遺伝子が強く表れているんだろうなあ)

 

…ここで一つ、自分でも面白いなと思うのですが、なぜか「外国に移住しよう」とは思わなかったんですよね~。

 

大学時代の親友ソガちゃんは、私と2人で旅したシンガポールにほれ込み、何度かの転職を経て移住。もう20年近く在住し、アメリカ企業のアジアヘッドオフィスで活躍しています。彼女の話を聞くと、シンガポールでは日本のような男女差別はないらしい。どうして私も、そっちの道に進まなかったのかな。

 

うーん、明快な答えは今、見つからないのですが。

 

・外国人ゲストたちに日本について紹介する中で、日本が好きに。

・大学時代から頻繁に外国旅行をしたので、移住、というほどの強い憧れは抱かなかった(旅行できるからいいかな、と)

・家族、友達、恋人と離れたくなかった。

 

書き出してみたところ、最も強いのは3番目かなあ。

 

 

おかげさまでまもなく、社長になって20年になります。

 

振り返って思うのは…社長はなるのは簡単だけど、小さい会社であっても、続けるのはなかなか大変だった。

 

続けられた一番の理由は、夫の協力や応援があったからです。

 

さっき「社長を続けるのは大変だった」と書いたけれど、社長をやりながら幸せな結婚生活を続けられたことの方が奇跡的。夫のような人でなければきっと、社長は続けても、離婚してましたね…ありがとう、ダイスケさん…!

この話は長くなるので、またいつか。